2011/10/22

儚い。

実に儚い。そして脆い。日常というのは儚く脆い。
仕事中に電話がかかって来た。着信画面には、友達の彼女の名前(友達とその彼女と一緒に飲んだ時に教えてもらっていた)。

「はい、もしもし」
「あの、XXXの妻です」

え、もう結婚してたのかよ。なんだ、知らなかったなー、と思って『え、結婚したのー?知らなかった、おめでとう』と、まさに言いかけたところで向こうが二の句を継いできた。

「昨日、XXXが交通事故に遭い他界いたしまして…」



ショックだった。職場の真ん中で、自分の席で「えっ!」と大声を出してしまった。
もう10年来の友人だったし、毎年2回ぐらいずつ麻雀するために集まってたメンツの一人だった。
饒舌ではないけれど、こっちがべらべら喋ってると、気の利いたツッコミを適度にいれてくれる貴重なキャラクターだった。
電話口で、こっちは何も二の句が継げず。
「それは…」
「通夜告別式の日程をメールにて送らせていただいてよろしいでしょうか。また、なにぶん急なことですので共通のご友人への連絡をお願いしてもよろしいでしょうか。お手数をおかけして本当に申し訳ありません」
「はい…」

結婚して早々、あいつは何をやってんだか。絶対結婚できないし彼女なんかできない、そんな俺と共通グループに所属していると思っていたあいつが。結婚までして。それでこれか。
事故の状況なんて聞けるわけもなく、どういうことか分かっていないけれども。
あいつに罪はまったくないかもしれないけど(あいつは慎重な人間だったから、自分のせいで事故ったとはなかなか想像できない)。

さすがに、仕事中はモヤモヤ、ふわふわした感じに心が包まれて。なんだか心ここにあらず状態に近いものがあったかもしれない。
10年来だからね。
一緒にスキーにも行ったことや、あいつの親のもってる別荘に行ったら水道が凍って困ったことやら、一緒に麻雀してたことや(あいつは一番弱かったんだけど、ここ1,2年で急に強くなって、結構勝ってた)、あいつと共通の友達の結婚式で2次会の司会してたことやら。
別に走馬灯のように一気にというわけでなく。
休憩でタバコを吸いに行っている時に、山札からトランプをめくるように一枚、一枚と思い出されることがあった。
その一枚一枚は軽い。どうでもいいことかもしれないが、10年分の捨て札の山をかき集めると結構な量になる。積もったな、このトランプはな。

日常というのは、儚く脆い。
儚く脆いことを、深く刻むことになったわ。

そして今日喪服をコナカに買いに行き、香典というのはいくら包むべきなのかというのをWebで検索している僕が今ここにいる。
「葬式に行く」
そんな、世の中のどこにでも転がっている言葉。他人からみればただの日常の一部だけども。
その日常すら、儚く、脆い。
この儚い日常を、しっかりと刻んでいかねばらないのだなと分かった気がする。
でも、明日の通夜は、俺にとっては日常の一部ではないわけだけれども。
多少波風のたつこともある人生、どんな日でも刻んでいかねばらないのだなと。

なに言いたいのかよくわかんなくなってきた。
つまり、他人からみたら大したことなくても、俺にとってはショックな出来事だったな、と。そういうことなんです。

2011/10/11

感動をくれたもの

あくまでここは、極めて個人的なBlogとして密やかにしめやかに厳かに軽々しく更新しておったわけですが……。
この期に及んでは、ゲーム動画投稿者としてのエントリを書かざるを得ない。それほどまでに現実の私にとっても大きな出来事があったわけです。

NiCOD4。
もうね、ものすっごい手前味噌で申し訳ないけど、かなり感動した。

あ、一応言っておくと、公式サイトはコチラです。このゲームイベントの運営サイドの一人としてやらせてもらいました。
当日の司会進行役として、また、事前の運営打ち合わせの意見調整役として、結構がんばりました。時間はそれほど使っていませんが、それでも他の誰でもなく、私だからこそやれた部分というのは、いくつか出せたと自負しています。

はい、NiCOD4の紹介と、俺がどれだけがんばったかのセルフアピールおしまい。

で、NiCOD4を開催して、感動した話。
兄者&HIGEYOSHI作成のエンディング(超かっこいい。普段の俺の性格からして、手放しでただ感想を言うことはほとんど無いけどもしかしこのエンディングには理屈なく『かっこいい』という言葉しか出てこない)が流れた時、NiCOD3の時には無かった感動で俺の右心房は満たされた。数々の名場面が思い出されて。

後夜祭配信も終わり、すべてのプログラムが終了した後、参加者がおのおので「NiCOD4反省会配信」を始めてくれた。俺のTwitterの動画投稿者リストがすぐ流れていってしまう勢い。これが、本当にうれしかった。NiCOD4の最中でも感じていたが「参加者が楽しいと感じてくれている」ことを、形として初めて我々が見ることができた瞬間だったから。
俺の左心房も、感動で満たされた。

あと、恒例になりつつあるけど俺のルール説明という名のまったく無意味なワンコーナー(紙芝居とも、茶番とも)。内容は今世紀最高にダメだったけども、コメントのリアクション、参加者のリアクションともにNiCOD3を大きく超えるものがあった。あれも、俺の勝手な感想だけども「運営・参加者・視聴者の一体感」を感じるに十分なヒトコマだったと思う。

ここはね、一応俺のブログだからね、俺の心に一番残ったことを書かせてもらいたいわけだけども。
上にも軽く書いたけど、数多くの記憶に残る場面があったよ、実際(もちろん筆頭に、あの「4を抜いてください」が来るのだけども)。
それらは、今回のNiCOD4の盛り上がりを象徴する出来事として見ている方の心に大きく楔を打ち込んだ出来事だと思う。

でも、それだけじゃないんだよね、俺の心に去来しているものは。
数々の名場面があり、視聴者も盛り上がり、参加者はボイスチャットで叫び、歌い、そして運営として今までまったく接点の無かったような方々と接することができた。
その、数々の「つながり」が、俺の心に刺さった大きな楔なんだね、うん。
俺の心臓に突き刺さった大きな楔から、右心房、左心房に満たされた感動がどんどん、どんどん今あふれ出てさ。小学生みたいに、いつまでもいつまでも遠足を忘れられない童のように、ばかみたいにいつまでも感動しているの。

わかる? わかんないよね、俺の独りよがりだろうよ。

けれどね、こんな気持ちになれることは、一生のうちに何回あるか分からない。
ひょっとしたら、もう二度とこんな気持ちになれることはないかもしれない。
そう思ったら、今俺の心臓からダダ漏れの感動に俺自身が溺れておくことも、悪くないことなんじゃないかな、って。

こういうことが、もしもう一回あるとすれば、どういう場面なんだろうなぁ。
でも、やっぱひとつしか思い浮かばないね。NiCOD5。4を抜いて行くんだぜ。

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